東京高等裁判所 平成元年(う)645号 判決
被告人は,昭和63年6月11日午前5時ころ,東京都新宿区歌舞伎町所在のマンション○○○号暴力団極東関口一家真誠会二代目桜成会岩澤組(以下岩沢組と略記する。)事務所において,同所玄関前にいた同真誠会小村会大場連合組員に対し,同玄関ドア前に同人らがいることを認識し,かつ,室内から同玄関ドアに向けてけん銃で実包を発射すれば弾丸が同人らに命中して死亡の結果をきたすことがあるのを予見しながら,それもやむを得ないと考え,所携のけん銃で実包2発を同室内から同玄関ドアに向けて発射したが,同玄関ドア前にいた右大場連合組員である中村に全治約10日間を要する左耳介貫通創の傷害を負わせたにとどまり,同人を殺害するに至らなかった
との,昭和63年8月26日付起訴状記載の公訴事実(同年10月27日の原審第1回公判期日において,同日付書面により訴因変更を経たもの)につき,被告人にはそのけん銃弾が玄関ドアを貫通することの認識があったとは認められず,殺意はもとより,傷害ないし暴行の故意についても証明不十分であるとして無罪を言渡した(但し,右けん銃とその実包の所持の事実及び別の傷害の事実2件については有罪)が,原判決が被告人の殺意を認定できない理由として挙げる点のうち,①右玄関ドアの材質構造について,被告人を含む一般人はこれを金属製の1枚板と認識するのが自然であり,被告人において,けん銃弾がドアを貫通し,その向う側にいる者を殺傷する可能性を認識・認容していたとは断定できないとする点は,経験則に反する誤断であり,②被告人が発射した2発のうち1発はドアにさえ命中していないのは被告人の恐怖と狼狽を示すもので,ドアを貫通した1発も狙いすまして発射したものとまではいえないとする点は,仮に恐怖・狼狽のあまりのことで,また,狙いすましたとまではいえなくても,ドアに向けて発射している以上,未必的殺意を否定する理由とはならず,③未必的殺意を認める趣旨の被告人の捜査段階における供述調書の信用性を否定した点は,証拠の価値判断を誤ったものであって,その結果原判決は,証明十分な右殺人未遂の事実を無罪とする事実誤認に陥ったものである
というのである。
第2 よって記録,証拠物を精査し,当審事実取調の結果を加えて検討するに,当裁判所の判断は次のとおりである。
1 先ず関係証拠上明白で疑問の余地のない本件事案の内容を概観する。本件は,被告人が所属する前記岩沢組と,同じ極東真誠会の系統でありながら反目しあっていた,被害者中村らの所属する小村会大場連合との対立抗争事件の一環であって,昭和63年6月11日午前2時ころ,岩沢組が用心棒を引き受けていた新宿区内の飲食店で,中村が粗暴な振舞いをしたため,店からの連絡により,同組若頭である被告人と,組員後藤,同上湯瀬らが急行し,中村に暴行を加えた上,前記マンションの同組事務所に連行し,そこでさらに暴行を加え謝らせて帰らせ,その後被告人は大場組員が事務所に押しかけて来ることを予期し,自室からけん銃を持ち出し(右けん銃とその実包の所持が原判示第三の事実である。),配下の組員とともに玄関ドアに錠とドアチェーンをかけて事務所内に立てこもっていたところ,案の定中村を含む相当多数の大場組員が押しかけて来て,「開けろ,出て来い。」などと口々に怒号し,玄関ドアを足蹴にし,十手等で叩き,植木鉢を投げつけるなど乱暴狼藉を働き,遂には双方互いにドア越しにけん銃数発を射ち合い,被告人が発射した弾丸が中村の耳たぶを貫通するに至って,大場側はようやく退散したというものである。
2 そこで,原判決の当否について考える。原判決は,本件ドアが高級マンションのドアで,材質が一見わからないような高級感を持たせた仕上げとなっているので,被告人がこれを金属製の頑丈な1枚板と思っていた可能性があるという。しかし厚さ3センチもの金属の1枚板のドアが,特殊な用途の建造物であればともかく,通常の居住用建造物に取り付けられるものではないことは,むしろ常識であると思われ,現に検察官の当審立証によれば,本件マンションの居住者10名についてドアの材質構造の認識を調査したところ,木製,金属板製など,認識内容はまちまちであったが,いずれも中空構造であろうと推測しており,金属の1枚板と思っていた者は1人もなかったことが認められるが,それはこのような立証をまつまでもなく当然予測されることともいえよう。被告人は原審第3回公判において裁判長の質問に対し,最初は,「あらたまって尋ねられるとよくわからないが,開閉するときそんなに重くなかったので,鉄板ではないと思った」旨答え,「鉄板ではないと思った。」と念を押されて,「鉄板みたいなそういう材質かとは思うが,よくわからない」旨,さらに「厚さ4センチくらいと思う,内部構造はわからない」旨答え,「そうすると,全部が鉄でできていると思っていたわけか。」との質問に対し「はい。」と答えているのであるが,右最後の問答で,内部構造がわからないからといってただちに全部が鉄でできていると思ったというのは飛躍であって信用できず,むしろ被告人の認識内容はその前までの答,要するに「よくわからないが,重い感じはしないので,大して頑丈なものとは思っていなかった」というに尽きていると考えられるのである。また被告人が発砲した主たる目的は殺傷よりも威嚇にあったとしても,ドアを貫通しなければ威嚇の目的も達成されないと考えられ(弾丸がドアを貫通せず,発射音だけでは,前記のようにドアを蹴ったり叩いたりして大声で騒ぎ立てている相手方に,けん銃の存在を確実に知らせることさえできず,もし弾丸が跳ね返ってくれば,いたずらに自分達に危険が及ぶばかりであろう。),発砲するからには,ドアを貫通することを期待していたものと認めるのが自然である。
また被告人は,捜査段階においては,銃弾がドアを貫通し,相手に命中することがあり得ると認識していたこと,相手を殺してやろうと思って撃ったわけではないが,命中すれば怪我をするのはもとより,「一つ間違えば死ぬことだってあり得る」と認識していたことを認め,確定的殺意は否定しつつも,未必的殺意があったことを肯定している。これに対し原判決は,右のような捜査段階の供述には,被告人のドアの材質構造についての認識や,なぜドアを貫通すると思ったかの根拠が示されておらず,唐突であって信用できないというのであるが,被告人の右供述は,相手が先に発砲し銃弾がドアを貫通してきた(その際白い霧のようなものが発散したというのは,FUライトが煙状に飛び散ったものと認められる。)のでこちらも応射したという前提での供述なのであって,その限りでは,相手の弾が貫通した以上こちらの弾も貫通すると思うのはむしろ当然であり,格別不自然であるとも,この点の認識根拠についての取調べが不十分であるともいえないと考えられ,原判決が説示するところは,右供述の信用性を否定する根拠としては薄弱であり,首肯し難いものというほかはない。もっとも,原判決が指摘するように,被告人ら岩沢組側の者の供述はすべて,相手の大場連合側が先に発砲したというのに対し,大場側の者の供述はすべて岩沢組から先に発砲したとして,顕著な対立を示しており(因みに,大場側の関係者に対する判決では,岩沢組側が先に発砲したと認定されている。),いずれとも決し難い観があるが,室内に立てこもっている方から先に発砲したというのも,事の成り行きとしては不自然なようにも思われ,少なくとも,相手が撃ってきたから撃ち返したという被告人の供述を虚偽と断定することはできないであろう。結局未必的殺意についての被告人の自白の信用性を否定する理由は見当たらないというべきである。なお,被告人の発砲が恐怖と狼狽のあまりの行為であったとしても,必ずしも殺傷の故意を否定する理由とはならないことは,論旨のいうとおりであり,また,ドアの上の方に向けて撃ったという,被告人の原審公判廷における弁解は,捜査段階での供述や,関係証拠上明らかな貫通孔の位置等客観的状況に照らし,到底措信できるものではない。
第3 このようにみてくると,被告人に殺傷の故意が認められないとして,右殺人未遂の訴因につき被告人を無罪とした原判決の判断は首肯することができず,右故意を認めた被告人の捜査段階における供述は関係証拠によって認められる諸般の状況により十分裏付けられているというべきであって,原判決はこの点において事実を誤認したものであり,これが判決に影響することは明らかである。論旨は理由がある。